食べる?食べない?自転車買っちゃう?

 

 

 毎朝5時半に起きています。

 

 朝は、ベランダではなく玄関の外で一服。長野方面からの観光バス、建築機材を積んだトラック、自家用車、バイクに自転車。目の前の目白通りはすでに車の量も増えてきて、完全に1日は始まっています。ぼくが起きた時間、もう職場に向かっている人たち。

 

 去年一年間、片道10㎞、約30分の自転車通勤でした。電車を乗り継いでいくよりも早く、なんといっても、自転車を買ってしまったので、ここぞとばかりに使いだしました。慣れないうちは固いサドルに手を焼きましたが、やがて自転車対応できる体になりました。

 

 さすがに1年も同じところに向かっていると、職場までのルートは、日々改善されていき、考えられるすべてのコースの中での最高のルートができました。車とは違い通れる道も多く、自転車版の抜け道や、気が付かなかったいろんな店も発見でき、ある意味、車通勤以上の情報を得られました。晴れた日に、太陽を浴びながら自転車で走るのは快感です。

 

 雨の日も合羽を着て通勤。準備にはひと手間かかりますが、自転車、バイク族は格段に少なくなり、商店街を歩く人も少なく、雨ならば雨なりのメリットがあり、いつもより走りやすくなります。

 

 背中に背負ったリュックの中身。無駄なものはなく、アクシデントに備え工具や替えの靴下など、電車通勤では必要ない物も若干ありますが、必要最低限の持ち合わせ。これが普段暮らしにもフィードバックされ、やや、大げさに言うと、自転車通勤の影響で、生活自体も締まってきました。

 

 車を運転しているときは、邪魔だと思っていた自転車も、自分が自転車側に立つと、わからなくもないと思うことや、危ないと感じる車の運転に気づきました。高齢ドライバーの運転が騒がれていますが、路上で危ない運転をしているのは、男女とも20代30代の若者が多く運転には落ち着きがありません。半面、たがいにゆずりあって走りやすいベストな方法で動く自転車やドライバーには、むしろ高齢者のみなさんです。

 

 相手の立場に立ってみないとわからないことは多く、尺を広げてみれば、海外へ行って、日本を出てみないとわからない、日本という国、ことの多さ。両方の世界を知って、双方で最高の落としどころを見つける目。やらない方がいいこと、やってもいいこと。

 

 一人で車を運転しているときは、いわば引きこもり状態。それゆえの快適さ。自転車は人間をはじめ、犬、猫、鳩…、いろいろな生き物と目が合います。毎日の行動時間が同じなので、だんだんと知っている顔も増えていき、そのうち挨拶などするように。

 

 これ、電車ではありませんよね。いつも乗っている人とか、次の駅から乗ってくる人とか、毎日一緒でも、挨拶するまではいきません。すでに家を出た時から仕事は始まっていて、通勤時間はもう仕事モードですが、自転車では、通勤時間はまだ自由時間で、心に余裕があります。これも自転車通勤のいいところです。

 

 体重を気にするようになってジムに通う。いいでしょう。しかし、ぼくの考えは違います。そもそも、運動量に対して、摂取量が多いから生き物は太るので、食べる分を減らせばいいことです。レストランへ行ったり、スーパー、コンビニで食材を買って食べ、そろそろヤバイ!となってジム通いを始める。その両方でコストがかかり、無駄だとわかりながらも、消費される食材の量は増える。

 

 普段の暮らしの中で、家事や通勤で十分に運動できるのです。人それぞれの1日の運動量に合わせて、それに見合う分の食事を心がけていれば、日に日に体は締まっていきます。漁に出たり農作業したり、工事現場など、肉体を使って働いている人たちを見ると、無駄な肉はなく、みな素晴らしい手を持っています。

 

 こういう人たちは、日々の運動量も一般人とは比べ物にならないほど多く、ゆえに、食べる食事も力の出そうな献立です。台所でおかみさんが腕を振るう料理は、労働者の力の源です。食材を大切にし、無駄を出さず、手間を惜しまず。整理整頓されている台所は、常にスクランブルで、おいしい食事を提供できる命のもとです。

 

 オーバーしてしまったから、これを始めよう。というよりも、これだけあれば十分というボーダーラインを引いて、削っていく生き方が、実は健康に一番!自転車や、食事。買い物や家の掃除など、些細なことから始まって、慣れてくると意外にも暮らし全体が締まっていきます。

 

 3桁あった僕の体重は、ここ数年60㎏前後で安定しています。体の痛いところはほとんどなくなり、家の中でもよく動くようになりました。それに追い打ちをかけたのが自転車です。どうせ使わなくなるんだから…、と、買った自転車ですが、車同様、なくてはならないものになりました。