風と富士山とぎっくり腰

 一年間、通い続けた最後の日。

 

「あれっ、富士山!」

 

 ここから見えるとは知らなかった。風が強かった昨日、家人は

「今日は景色がすごくきれいだった。遠くの山々の稜線もはっきりと見えた」

といっていた。強い風の翌日は、富士山も見える。いろいろルートを研究して、最高の通勤路を極めたつもりだったが、まだまだ知らない発見があった。快晴の空を眺める余裕がなかったのかも?と、反省している。仕事はビジネス、どっちが儲かるのか?でジャッジしていけばいいものの、それ以外の時間にも仕事頭が入り込んでいるようでは、たいした人生とはいえませんね。

 

 通勤電車の中も「少年ジャンプ」が「スマホ」になっただけで、あまり昔と変わりませんが、「降りる人を先に」程度だったのが「背バック」「電源」「イヤホン」「網棚へ」とか、だんだんとマナー文句が増えていって、駐車場では「東京都の条例により、アイドリング~」「再生紙を使っています~」「環境保護の観点から~」「我々○○○独自の取材で~」と、なにかとお上からの大義名分を掲げて利用者の教育、というか指導をするようになりました。

 

 30年近く長野県に住んでましたが、比較すると、5~6万円で暮らせる物件が、東京では15万円以上。賃金差は多少あるものの、何でもかんでも東京に集まって、ゴミ出しから、帰省ラッシュ、クリスマスに運動会。ユニクロのバーゲン、H&Mの閉店セール、スーパーの特売日、などなど、集団で一気に移り動くさまは、逃げ惑う羊たちを連想してしまいます。

 

 こうして、群れの中で移動していると、皆と同じ収穫を安易に得ることができますが、いざ、独りになったときに立っていらません。普段から、世の中に引っ張られずに、自生していくことを常に考えています。ガソリンスタンドの2~3円の違いで一喜一憂したとしても、50L入れて、100~150円の差です。スマホで探してそこまで行っている間に、空を眺めることができれば、ぼくの富士山の見落としもなかったんだと思います。

 

 長野では、近くの大型店が集中するエリアに行くか、地元の店で済ませるか、の選択ですみますが、東京では店の数が多すぎて、おつむの処理能力以上の情報量です。買うことより、買わないことの方に集中しなければなりません。そのうち「何を買いに来たのか?」すらわからなくなって、「何かおいしいものでも!」で、さらにどつぼにはまる、と。だんだん、自分で考えるのが面倒くさくなっていって、ビラをみて「よっしゃーっ!」と、ユニクロへ。雨だったら、ネットで調べて「ポチっと」な。自分や家族が必要としているものからではなく、セール記事に「お、これ買っておこうか!」型ですね。自分のゼロから発信するのではなく、外からの情報を処理する能力を持った人にまずはならないと、です。

 

 ぼくはこれ、苦手です。上京する前からわかっていたことですから。幸いなことに家人たちも同じ価値観で、買い物をするときには値段で考えません。暮らしの中で必要最小限のものがあれば、なるべく「いいもの」を探します。外食はせず、自炊します。包丁を砥ぎ、まな板を洗い、食材を管理して。手間は格段に増えますが、無駄もなくなります。便利さをちょっとだけ削って、満たされた気分になる暮らしです。家の中での仕事が多くなれば、あまりゴロゴロもしていられず、フットワークもよくなるので、わざわざジムに通う必要もありません。

 

 食べる量は変わらずも、3桁あった体重は50kg代に!周りからは「がんだ!」「エイズだ!」などとささやかれながらも、体の痛いところはほぼなくなりました。しかし、ぎっくり腰で、唸りながらの年末を迎えています。