長老、押忍!

 

 2004年、スマトラ島沖地震。このとき、津波が来る直前に象たちが高いところへ避難したという話があります。丘に登る途中にも人を拾っていったとか。ちょうど年末で家族全員でテレビを見ていました。祖父たちは、親から聞いてきた関東大震災や、戦時中の空襲の話を始めました。

 

 ほとんどの生き物は、生殖能力がなくなると現役引退です。それぞれの掟に従って向こう側の世界への旅の準備をしますが、人間や像など例外もあり、どこに違いがあるのだろう?なぜ、繁殖できなくなった老いた家族と、群れの中で引き続き共同生活をしているのだろう?

 

 象は、地震のとき自らの知識、もしくは何らかの形で先代から受け継いだ情報、記憶によって「この後、津波が来る!」ということを察知していた。そして、その象たちの動きを見て、ほかの生き物も合わせて逃げた。すでに現役を引退している老いた象も、実は一族を守るための重要な役割がある。そして、このときの経験をともに体験した若い象たちが引き継いでいく。これは何も、自然災害や天変地異に関したことだけではなく、たとえば、川や池の水、森の食べ物、塩の味がする場所…。

 

 

 

 去年、ぼくはたくさんの老人たちの話を聞きました。腰は曲がり、杖や車椅子で移動し、すぐに眠くなってしまう老人たち。しかし、そこはさすが長老たち。経験値のスペックは巨大です。

 

 「この辺は昔は飛行場だったので真っ先に爆撃された。一面の焼け野原になってしまったので、今は道が碁盤の目のようにきれいに整備されている。」

 

「逆に、幸いにも空襲から間逃れた地域では、その後どんどん人が流れ着いて、今となっては昔の畦道意外全部家になちゃった。だから、この辺は道が細いの、そんな車(ハイエース)じゃ走りづらくてしょうがないでしょう。」

 

「日々、空襲が激しくなっていった。今では笑い話だけど、集団疎開で仙台に逃げたら、行ったその仙台でも空爆にあった。何とか東京へ帰ってきたら、自分の家の周りだけ爆撃されずにきれいに残っていた。いったい何のために疎開したんだろうね?」

 

「 阪神淡路大震災のとき、あたり一面に「真っ赤な閃光」が走って、それがいつまでも消えなかった。」

 

 

       君は

  先人たちが命がけでつないできた命

  両親、親族が必死に育ててきた体だ

 

 

 

 数年間、長野県の森の中で暮らしていました。2匹の犬と毎朝の散歩。森の中には僕と犬だけ。突然、ビク!っとなって犬がうなり出す。体中の毛を立てて、歯をむき出しにして今にも戦いが始まりそうにスクランブル。2匹とも明らかに同じ「ある一点」を見てうなっているのですが、僕には何も見えません。何も聞こえません。

 

 戦時中のこと。ある日、前にいた知り合いの女性が突然胸をおさえてたおれこんだ。後日談として、遠く離れた戦場で息子さんが胸を打たれ戦死した、というはなしを尊敬する老人から聞いたことがあります。

 

 江戸時代、人々は、火や鉄を使いながらも、人間はまだ野生の中の一部だった。そのころまでは「虫の知らせ」のような感覚がどんな人にもあって、中でもその能力が強い人、もいたのであろうと思います。特に女性。

 

 時は進んで、どこへでも行ける乗り物があり、家にいながらも買い物ができるようになり、人は労力を使わずとも暮らして行ける長い人生を得ました。反面、なにかとても大事な野生の能力を退化させてしまったのではないでしょうか?

 

 定年後、都会の家から軽井沢に移住し、暮らし始めて3~5年でまた東京へと戻ってしまう人たちがいます。大きな理由のひとつに、奥様が「東京のほうがいい」となったケースです。そのまま永住してしまう人は、奥様のOKが出て移住決定。同じ生き物でも、水があうあわないということがあり、帰郷組のご主人はまだまだ軽井沢ライフを楽しみたいところですが、ここでも、群れを導いていくのは女性のようです。

 

「今年は(雪)ふるよ」「あしたは雨だよ」と、じじばば天気予報。テレビがなくても百発百中。地図がなくても、どこに行っても、自分の立ち位置から東西南北がわかるセニョーラ。そして津波を読む象。

 

 核家族化が進み、共働きや育児、長期にわたる家のローン、仕事からはなかなか抜け出せず、老いた親たちはそれでも子や孫を思いながら、施設へと送られていく。施設で働く人たちの中にも、自分の家庭で介護問題を抱えながら、一生懸命に働いている。裏方ではスタッフたちのため息が漏れる。先人たちを尊ぶ気持ちが、徐々に薄れていく。

 

 昨年、母を亡くしました。ここ数年は、家族それぞれが母に合わせた人生を送ってきました。本当にこれでよかったのだろうか?母は最期まで満足していたのだろうか?余裕がなくなった家族間には亀裂が生じ、余計なところまで飛び火して。

 

 その経験から、この一年、ぼくは老人には常に敬意を持って接してきました。これからもそうします。娯楽と手間隙省くためだけの文化であるならば、先人たちには敵いません。

 

 密林の中から象に見られている気分です。