1月3日

 早朝、昨日と同じ道を都内へ。「!」空いている。元日よりも少ない感じ。駅へと向かう人たちがいるので、すでに仕事始めの職場も増えてきたようですが、道は空いている。

 

 夜になると、新宿の街は一変し、多くの人で賑わっていた。いつもと違うのは、みなさん買い物袋をぶら下げて。Isetan、TAKASHIMAYA、H&M、…。

 

 年末に「ワイン足りないね」となり、ちょっと探すと練馬駅前に酒屋さん。「やっぱりそばを食べよう!」となって、これまた探すと、自転車でいけるところにオーガニックショップ。無添加の食材を探すことは、地方ではひと手間かかりますが、ここら辺がさすが東京!逆に、長野では山を見て、冷たい空気を吸ってボーっとしているこの時期、東京では、一歩外に出ると、すでにまわりは仕事モード。つられてこっちも早足に。

 

 オーガニック、有機栽培の食品を選ぶ。食べる。増えたとはいえ、今のところはやはり探さなくてはなりません。みかんやニンジンも、形は悪いし、泥もついています。しかし、ぼくにとって、それらはさほど重要な問題ではありません。同じ売り場に、曲がったきゅうりがあれば、それは選ばれず、表面が傷ついたりんごは、やはり売れ残るので、まず出荷されることはないでしょう。この価値観がある限り、ことの真ん中に目が届きません。

 

 家人はかぼちゃにアレルギーがあります。アレルギーというか、かぼちゃを食べると具合が悪くなります。ところが、長野の知人から毎秋届く大量のかぼちゃは平気です。見た目こそスーパーで売られているきれいなかぼちゃにはかないませんが、一月以上かけてわれらの胃袋だけで対峙します。自称”人生最高”の「かぼちゃのアイスクリーム」「パウンドケーキ」

 

 

        「金じゃない、質を真ん中に置くんだ」

 

 

 これだけの人口を抱えていながら、どうも、他人との壁はいささか厄介で、たくさんの人の中で、自分ひとりの領域を常に確保していないと、他人との接点をもてない。他人用に開けている隙間からでないと、人と近づけない。よりいいものを、よりきれいなものを、より新しいものを、と選んでいくうちに、そっちのほうがメインになってしまって、さらに、頭に「うちの子のためには」とつけると、事態はさらに深刻化して、きれいなまっすぐなきゅうりとか、つるつるのりんごが市民権をとってしまいました。

 

 抗菌、殺菌、滅菌、除菌、花粉、埃、いやな臭い、分煙、禁煙、アイドリング…。どんどん規制されていき、マスクをした民は弱菌状態に。生きていくためには必要な菌まで洗い流されてしまい、些細なことで体調不調に。年末の風物詩となったノロウィルス。現場の衛生管理も確かに大切ではありますが、かかってしまったひとの体調はどうだったのか?抵抗力が弱まっていたのではないか?ペットの殺処分問題。「かわいい」「ほしい」でそのうち面倒が見れなくなり、または売れ残って大きくなってしまい商品価値がなくなってしまった生き物。それを販売している販売店にこそメスを入れないと、問題解決には程遠い現状です。

 

 ブラジルの片田舎、衛生環境ははるかに日本より劣るものの、病気がちの人、常備薬を飲んでいる人の比率は雲泥の差です。手洗いうがいなどはしません。しかし、年齢、性別の関係なくほとんど、みな元気です。ペット先進国では、販売を禁止しているところがあり、こういった国から学ぶべきです。

 

 

 翌4日、土曜日ということもあり車は少なめも、営業車はいつもどうりに。街を歩く人々も、今朝は仕事モード。ぼくも含めて、昨日まで走っていた他府県ナンバーの車は減り、ほぼほぼ地元のみなさん。新宿、明治通りでは開店に向け人々が動き出しました。