急がば回れ。

 (逆上がりができない君へ)

 

 4年前、東京で暮らし始めたとき「これ、まだ残っているから使いな」と、親族からSUICAをもらいました。実をいうと、これまで数十年の長野&ブラジル暮らしで、ほとんど電車やバスに乗ったことがありません。東京に出てくるときも、ほぼ毎回、車。当然、SUICA、使ったことがありません。まさに「今浦島」です。

 

 スーッと出入りできるけれど、残高がわからないし「運賃足りなくなったらどうなる?」たまに、改札で引っかかている人いるけど、50過ぎのおやじがこんなこと心配しながら電車に乗っている、なんてマヌケな話。

 

 SUICAPASMOに、違和感があり、なつけませんでした。どうも、ぼくには現金主義みたいなものがへばりついていて、見た目以上に時代にマッチしていません。しかし、改札を出る前に清算できることを知ってから。使ってみるとなかなか便利で、当たり前ですが、みんなが使っている理由がわかりました。

 

 ちょっと、大げさに言うと、これも訓練のためです。人に聞いたり、駅員に聞いたりすればすぐにわかることなのに、それをしないのは、見て、判断して、勘を働かせて、自分ひとりの中で解決する訓練、誰にも相談しないで。

 

 何のための訓練か?というと、海外で、こういう感覚は特に役に立ちます。はじめての場所にいるとき。電車や地下鉄、役場、大きなビル…。心臓はバクバクし、失敗するリスクは大きいものの、それに備えて行動すること、あわてずに肝を据えて。スイスイと行ける近道はたくさんありますが、何しろ僕は、遅い。何をやっても、最速で人の3倍かかります。

 

 通勤電車、ランチタイムの食堂、新入社員研修、地域・地区活動、授業参観、そのあとのPTA会議、運動会の準備に、国際交流フェスティバル…。ほとんど、周りに溶け込めずに、孤立します。

 

 「逆上がり」できませんでした。一クラス50人以上が6クラス。この学年の中に、ぼくを含め、世の中公認のデブは3人。低学年の頃は、「逆上がりできない組」が半数以上はいたと思います。それが、年を追うごとに減っていって、最終的に、6年生になるころには、この3人を含めた数名が、まだに残留組に在籍していました。

 

 この残留組は当然ながら、かけっこも遅く、ぼくも、ビリじゃなかった記憶がありません。やがて、最終的にはぼくともう一人が、できないまま卒業。もう一人の彼は「タンク」と呼ばれていて、電車というよりは鉄道に詳しく、彼は、今でいう「鉄ちゃん」のはしり。卒業してすぐに彼の引っ越した家の近く、江東区で一度会いましたが、以来、もう何十年も会っていません。その後の彼はできるようになったのだろうか?何年かに一度、突然そのことを思い出します。

 

 ぼくは相変わらず、中学3年間でも、できませんでした。ここまで、できないやつもそうはいないかと。運命が変わったのは高校に入っていから。野球の練習があまりにも厳しく、どんどん、痩せていきました。スポンジから水が絞られるように。というよりは、見た目はそれほどデブではなくなりました。球が早かったので、部員の少ない弱小野球部では、引き算の定義でピッチャーです。

 

 しかし、野手との違いで、走り込みの多さや、練習量の多さは地獄です。生涯ビリのぼくが、毎日人の何倍も走るのですから、「カメに腹筋させる(爆風スランプ)」ようなものです。今まで、体形からずっとキャッチャーをやっていましたが、ピッチャー転向初日に、部活やめようと思いました。当時はそれなりの理由があり、ピッチャーは筋トレ、鉄棒禁止。ほかの野手たちは「補強」と称して、練習の最後につらい筋力トレーニングをします。唯一、ピッチャーのほうが楽なメニューです。

 

 

     できないのは、恥じゃない。

      やらないのは、恥だ。

 

 

 きつい練習や、軽くなった体に慣れてきた2年生のころ、一人朝練で校庭を走っていました。バックネットから校門前、そして高鉄棒の裏をぐるぐる回って。ある日、小学校以来、中学3年間と高校1年間、約4年間の封印を切って、高鉄棒の前に立ちます。この4年間、一度もチャレンジしていません。というより、鉄棒に触ったことすらありません。誰もいないのを確認後、

 

 「あれっ?」

 

 なかなかにブザマな格好ですが、すんなりとできました、逆上がり(後日談ですが、このころのぼくの逆上がりは「棒にひっかかったヒキガエルみたい」だったと)。以来、監督やほかの部員の目を盗んで、毎朝、ひとりで、くるくる回っていました。回ってはニタニタ、回ってはニタニタ…。やがて、早く登校する1年生や部員数人にはバレましたが、それでも、回ってはニタニタ

 

 高鉄棒で逆上がりができる、ということは、世界中、どこへ行っても、棒さえあれば「できる!」ということです!。

 

 人知れず、ぼくの逆上がりを見ていた人がいます。女子バレーボール部の新入生~ここからの話は、聞いて楽しい人は誰もいないと思いますので割愛~しかし、結論から言いますと、逆上がりのおかげで、彼女ができました!という話。ぼくが、小学校や中学校の時に、普通に、人並みに逆上がりができていたなら、こうはならなかったでしょう。

 

 朝練で、校庭を走っているとき「いつかやってやろう!」と思いながら、高鉄棒の横を走りすぎていました。その点において、人の何倍も能力が足りなかったぼくが、です。少し人より時間がかかっただけ。残念な夏の大会1回戦負けの高校で、それでも、素晴らしい時を送れたのは、足りなかった能力のおかげ。

 

 プログラミングに挑戦しています。御多分にもれず、いつもどうり呑み込みが遅いです。とても、遅いです。いくらやっても、前に進めません。脂ぎったオデコが、PC画面に映り、マウスはくるくると回るばかり。

 

 なんであれ、一生懸命にやっているやつを、笑うんじゃない(アントニオ猪木

 

 おつむが少し軽くなってきたら、高鉄棒がどこにあるか、気づくのではないかと思います。