1月の雨

 

 積もる可能性がある、万全の雪対策を!なんて騒いでいましたが、今日は一日中雨。よく降っています。今日のように、出かけない休日が好きです。いつもどうりの時間に起きて、朝からいろいろはじめます。洗濯。料理の仕込み。しかし、急な案件が入り、そのせいで指が真っ黒です。

 

 包丁が錆びてしまった。普段はあまり使わない洋包丁。先日研いで保管していたもの。包丁は、新聞紙に包んで革製の包丁ケースに入れています。ふたつあるケースの一つは和包丁、もう一つは洋包丁。最近魚をさばくことが多かったので、洋包丁の出番はありませんでした。

 

 米を炊いているとき、包丁ケースをつかんで「あれ?」何かいつもと違う感覚。どこかが違う。なんなんだろう?と、もやもやしましたが、数秒後には忘れてしまいました。米が炊き上がり、食事の準備。昨夜からの雨で窓には大量の水滴…。

 

 包丁ケースを開けてみると、新聞紙が湿っています。嫌な予感は的中し、お気に入りの洋包丁が真っ赤っか!これは大変だ。キリのいいところで試合開始です。

 

 まずは荒い砥石から。表面の錆びを取り、凹凸がなくなるまで延々と。だんだん砥石も曲がってきてしまうので、その都度、砥石も平らに研ぎます。ぼくの人生、包丁を研ぐ時間は一般の人より多く、その分、慣れています。研ぎはじめは頭の中ではいろいろなことを考えますが、そのうち、なにも考えなくなって、シャカシャカと包丁を研ぐ音だけの時間が続きます。得てして、考えごとをしているときは、包丁も波をうったり、リズムが狂ったり。やがて、頭が空っぽになり宇宙と交信しだすと、規律がある正確な動きが続きます。

 

 最近、家庭では、手間がかかり錆びやすい鉄包丁は敬遠されがちですが、手入れを苦と思わなければ、こんなにいいアイテムはありません。家庭用とは明らかに違うプロ用。この包丁の手入れが行き届いているうちは、まな板もキレイでキッチンもキレイ。仕事はどうでも構いませんが、みな健康で家庭円満。今日の僕のように、錆びつかせているようでは、どこかたるんでいる証拠です。

 

 試合も中盤戦に入り、砥石からヤスリに。ここで活躍するのが、耐水性の紙やすりです。消しゴムの様な形状のものと併用して磨くと、面がよりきれいに仕上がります。段々に目を細かくしていき、ほぼ、錆びる前の状態まで回復。夕焼け小焼けのテーマが街に流れています。

 

 家庭用の包丁は便利です。錆びることもなく、よく切れる。値段も手ごろで、おしゃれなデザイン。しかし、もう一歩上の料理をしたくなる気持ちは起き上がってきません。いろいろなキッチン道具が次々に出てきて、一昔前に比べると、台所もどんどん楽で便利になっていきました。その分、なにか手作り感というものがなくなってきてしまって、ただただ日常の一部になった気がします。

 

 

        馬が車をつくったか、

        鳥が飛行機をつくったか、

        人間なら、立って歩け!

 

 

 海外で暮らしているとき、食事に呼ばれることはよくあります。いつも、違いを感じます。正確に言うと、大きな懐かしさを感じます。手間暇かけて作り、料理が出来上がった時が食事の時間。買い物かごを下げて街に出かけ、コーヒーを飲みながら下ごしらえをし、テレビでも見ながらテーブルを片付け、ついでにちょっと1杯はじめ、むわっとした熱気が台所にこもりだし、家々から立ち上がってくる香り、音、声…。時代をちょっと昭和に戻せば、取り戻せる「あの時間」。

 

 終盤戦は再び砥石の出番。中研ぎで刃をつけていき、仕上げ砥石でゲームセット。若干、傷跡は残ったものの、洋包丁、いつでも出番はOK、スクランブルです。

 

 この包丁は、数十年前、学生時代に購入。ぼくが海外で暮らしていた時は日本に残り、父親の料理のパートナーとして、実家で活躍していました。今は父のライフスタイルも変わり、最近では出番がないので、再び、僕のもとへ。この包丁を握ると、父がちゃんと手入れをしていたことが伝わってきます。不覚にもさび付かせてしまったことを深く反省する休日となりました。

 

 当時の先生に「包丁は一生使えるもの。ただし、そうなるかは君次第だ」と言われました。まさにそのとうりです。包丁を買えば、やはりまな板や砥石が必要になり、それも荒砥と中研ぎは欲しいところです。今から見れば、やや不便に逆戻りですが、そこに、忘れてはいけないものがたくさんあると思います。