ノムさん。

 

 高校を卒業し、大阪の調理師学校へ行きました。学費捻出のため、産経新聞で住み込み新聞配達をしながら、はじめての一人暮らしです。確か、朝日新聞社の中の島ホールというところで入学式があり、包丁式という見慣れないものを見て、そこで、講演をしてくれたのが、ノムさん野村克也さんです。

 

 プロ野球選手というのはいつもそうで、テレビで見ているよりも、実際に見ると本当に大きく見えます。「小太りのたぬきおやじ」という印象でしたが、スラっとしていて、スーツ姿が決まっていました。

 

 ご自身も、かつて新聞配達をしていたという話をされ、ぼくもさっきまで野球部だったので、ノムさんの話に聞き入っていました。途中、講義を聞かずに話をしている入学生を見ると、

 

「おいっ、そこの話しているやつら。聞きたくないなら出て行け!」

 

 と、一喝されたのが、とても印象に残っています。包丁も握ったことのない小僧に、プロ中のプロが話をしているわけです。これから、君たちはプロの世界で生きていくんだ。怠けた気持ちは持つなよ、真剣に生きろ!と、ノムさんの忠告を、ことあるごとに思い出します。

 

 南海時代の至極の「ささやき」

  ホームベースを均しながら

  「おまえ、きのう飲みに行ったろ!」

  囁かれたバッターは、すでに心そこにあらず。

 

 テレビ朝日、野球解説の「ノムさんのクール解説」最高でした。

 

  実況「ピッチャー、第一球を投げました。ボール!ピッチャー、

     首をかしげてい ます。きわどい判定でしたね、今のはボールでしたか?」

ノムさん「いやぁ、こりゃもう見え見えの敬遠じゃい」

  実況「えっ?」

ノムさん「大根役者やね」

  実況「・・・」

 

 テレビやラジオでは、どことなく、やさしいたぬきおやじのように見えますが、入学式の時、あのノムさんの厳しいところが頭から離れません。

 

 東京のレストランに就職し、神宮球場へはよく行きました。ぼくはヤクルトファンです。就任2年目のセ・リーグ優勝。古田、広沢、そしてハウエル。ライトスタンドには岡田さん。西武との日本シリーズは最終第7銭戦までもつれ、延長戦の末、無念の惨敗。しかし、翌年の日本シリーズで西武にリベンジ。

 

 このころから、日の当たらないパリーグで月見草だったノムさんが、ヒマワリの咲く表舞台の常連となりました。それはそれで、やっぱり華のある人物なので、見ごたえ十分です。

 

 数字にも、記憶にも残る名プレイヤー、ノムさん

とーや、いっぷく。

 

 

 朝の一服、いつものように玄関の外に出ると、 今朝は交通量が少ない。今日は休日「建国記念日」だ。天気のいい、晴れた朝。下を歩く出勤する男性。おたがいが(あっ)と思う。去年までの僕の自転車通勤で、よくこの時間にすれ違っていた人だ。声こそかけたことはないけれど「休日出勤、いってらっしゃい!」

 

 ローテーションの谷間ということもあって、ブラジルで買ってきたタバコを吸っています。味や香りで「暑く、よく蚊に刺された」友人の家を思い出します。むこうでは、そろそろカーニバル。街もずいぶん騒がしくなってきているでしょう。

 

 どうも、日本は違いがあるようで、タバコひとつとっても、よく燃える紙に包まれた日本のタバコは、独特の後味があり「向こうで吸うタバコはうまい」と感じさせる要因なのかもしれません。

 

 タバコに限らず、野菜や果物、マヨネーズやパンなど、海外に比べると日本は総じてマイルド志向です。さすがに、魚類は、改善されているとはいえ、漁場から家庭のキッチンまでの管理・流通状況に大きな差があるので、海辺で買う以外は、日本の魚はうまし!となるわけです。

 

 昨年、久しぶりにリオに行きました。さすがに街は大きく変わり、前回ここで暮らしたのは約20年以上も前なので、軽く浦島太郎です。当時は、大型ショッピングモールは郊外に数件しかなく、モール内のテナントも、だいぶ現地感がありました。今では、ほぼ、世界中とこでも見られる定番のテナントが、数多く出店しています。

 

 とはいえ、当時、日本では大型店はまだ猛威を振るっていなくて「ブラジルのショッピングセンターはでかいな」と痛感していました。お互い、携帯電話すら、それほど普及していなかった頃です。こんなサイズは日本では無理だ、と、思っていましたが。なんのなんの、以後、日本でも郊外から、どんどん大型店の出店が始まり、ホームセンターや家電量販店、ガソリンスタンドや回転すしなども同じエリア内に併設され、とても便利な商業エリアが出来上がりました。

 

 リオでは、ここ数年、好景気をきっかけに、車の所有者が増えて、これは、分割で新車を買いやすくなったのが大きな理由のようですが、どこもかしこも、町内の要所は大渋滞です。ショッピングモールに入る時など、一苦労。さらに、駐車料金も高額で、車の維持費は結構かかります。

 

 とはいえ、ガソリン代も安く、車検もなく、税金もそれほどではないので、出費は少なめ。さらに、保険に関してはほとんどの人が加入していないのでは…。手放すときも、車種によっては、ほぼ、購入時に近い金額で売れるので、資産価値を維持したまま、カーライフを楽しめます。新車を買っても「3年で半額、10万㎞で査定ゼロ」の日本はちょっと異常です。携帯料金同様、日本よりはだいぶ住みやすい世の中です。

 

 そろそろ、気温が上がっていく予兆なのか。最近、虫たちの活動が始まりました。ちょろちょろと、小さな昆虫が見られます。ブラジルでは、どんな虫も、クモも、排除対象なので、見つけ次第駆除。しかし、逆に日本では、虫はどこか親しい友人というか、身近な存在。ハエや蚊、ゴキブリは万国共通ですが、蝶やてんとう虫が家の壁や窓の前を飛んでいても、それほど不快感はありません。むしろ「春だなぁ」なんで情緒が沸いてきます。

 

 カブトムシやクワガタに限っては、もうこっちではヒーローで、ブラジル人には考えられないでしょうが「家の中で飼っちゃうほど好き」です。ブラジルでは、小鳥は籠に入れ軒先につるして鳴かせ、犬の役目はほぼ番犬として庭につないでおく。いずれも、家族から見た「使用人・所有物」という立ち位置で、都市部のマンション暮らしの人など例外はありますが、家族の一員としても、飼い主との境界線ははっきりしています。

 

 ここ最近の日本のペットブームは異常で、犠牲になっているようにみえてしまいます。犬、猫、猛禽類や、カワウソ…、都会の暮らしでこんなに生き物は必要ありません。殺処分や、河川の外来種、簡単なことで、販売店に規制をかければいいだけの話です。

 

 生き物は、原則販売禁止。欲しい人は、ブリーダーからの譲渡のみ。ぼくは、ここ10年ほどかけて40㎏体重を落としましたが、ダイエットでは「何食べているの?」とみんな聞きます。この間、ぼくが常に管理していたのは、入る方ではなく「出る方」です。これが、ダイエットの最大の要点です。

 

 ペットに関しては、販売店で、最近ではホームセンタでもどんどん売られて、町中ペットだらけ。家々にあふれています。こちらは、入る方(売る側)はフリーで、商品価値があるうちにどんどん販売し、出る方(購入者側)の問題ばかりとりあげられています。一人暮らしや、寂しさを紛らわすために、ペットと暮らす。いいでしょう、ただ、環境というものはあって、地方の広々としたところならばともかく、都会の一室で飼うのは、生き物にとっては本来の生き方ができません。

 

 とことん、血統にこだわるところも日本の特徴です。休日の公園などはさながら品評会。海外では、ピットブルのような特別な番犬タイプは別ですが、一般家庭では血統は関係ありません。広いスペースに、家の中も靴のくらしで、家族の一員のように見えます。が、やはり、しっかりとした境界線は引かれ「対等の生き物」としてか、「暮らしのグッズ」としてか。

 

 野生動物に「肥満」がいないように、生き物本来としての命を尊重して、共に暮らし、人は社会の決められたルールを守り、動く。スピードを出したい人は、そこまで行って速度無制限の道路で飛ばせばいいということですね。相手を尊重すれば、穏やかな気持ちになり、受け入れる心のスペースが広がる。ルールを守れば、規律のある生活ができ、暮らしがしまる。

 

 今日は日本の誕生日。

 

 一服して、がぶがぶヒーコー飲んで、鍋に昆布を入れ、

 

 とーや、しーめー作ります。

とーや、スーパーで売られている物について考える。

 

 

 よく話す親しい友人がいます。彼は流通に詳しく、一般消費者の知らない、世の中の流れについて、いろいろ教えてくれます。

 

 スーパーの朝。開店前、大量の荷物が搬入口に届く。発泡スチロールの箱に段ボール、輸送用プラケース。生鮮商品や冷凍品、野菜…。それらを受け取る従業員に続いて、海産部や、精肉部の従業員も出勤し、一斉にパック詰めが開始されていきます。

 

 たとえば、海産部門。定番のアジやサバ、季節のカレイやタラ、ホッケにイナダ、解凍のサンマ。刺身用の凍ったサク、これらをパック詰めにするため、お湯に入れ解凍してから、さばいていくわけですが、自営レストラン上がりのぼくとしては、あまりにも、廃棄する部分が多いということが、どうにもスカッとしません。

 

 主に、商品になるのは3枚におろした身の部分だけで、頭やあらなどは、ブリやタイ、サケのように一部例外はあるものの、ほぼ、廃棄です。日々、ゴミ箱にたまる廃棄食材は“バケツ1杯”どころの量ではありません。スーパーに隣接して、もしくは直営のレストランでも合わせて併設すれば、素敵なお店がたくさんできるはずです。

 

 スーパーは、企業経営理念に覆われていて、仕入れから人件費まで細かな計算がされています。にもかかわらず、これだけのゴミを出していては、大量販売にその量のゴミはつきものと考えても、どこか手直しが必要だと痛感します。

 

 店内の放送で「お魚コーナーでは~」「今が旬の〇〇」「今日のお勧めは〇〇、100グラム当たり〇〇円」野菜売り場、ベーカリー、精肉部門、お惣菜、日がな一日中連呼して。

 

 企業としてのスーパーには難しいでしょうが、ぼくの理想の魚屋とはこうです。

 

 魚は丸のまま、売り場に並べられ、お客さんは魚を選ぶだけ。そして、スタッフが要望どうりにその場で魚をさばく。ウロコとって、エラワタとって~刺身の状態まで、要望に応じて。頭やアラは不要な人もいるでしょう。同じ売り場に、魚と一緒に展示して「ご自由にお取りください」と。

 

 魚のアラや鶏がら、牛スジなどは、家庭でさっと湯通ししたり、脂を落としたり、きれいに掃除すれば立派な食材。みなさんこれを持ち帰るようになると、料理のスキルもどんどん上がっていきます。

 

 加工部門の作業スペースでは、半分以上を、パッケージ用の機械や、プラスチックトレイが占めています。これらはすべて、お客さんが購入後、家について開封時、すぐに捨てられてしまうものです。

 

 パッケージ有料。ただし、〇〇円以上お買い上げの方は、無料。

 

 お刺身パックを買うと、かならず、大根のつま、大葉、ニンジンのつま、あたりがついています。これ、すべて食用ですが、みなさん食べていますか?つま用大根の仕入れ量は大量です。大きなゴミ袋大の袋がいくつも。これが、捨てられるために作られているとなれば、やはり、スカッとしません。

 

 つま有料。ただし、〇〇円以上お買い上げの方は、無料。

 

 当然、こういった生の食材を提供する販売方法になると、保健所がいろいろと指導してくるでしょうが、こういった、ある意味“無駄”とも思える法規制には、受難な対応ができるようにシステムを改善するべきです。

 

 肉屋と八百屋も並びに出店。パン屋もあればなおいいでしょう。この各店舗から出る、スーパーでいうところの廃棄食材。これは、古くて売り物にならなくなったものではなく、その日入荷したものの、下処理の段階で出る廃棄部分。

 

 食材はもちろんのこと、野菜くずや、肉の筋など、レストランの仕込みには必要不可欠の材料が、卸価格、または、無料で入荷できるので、価格も安く設定できる。浮いた部分を人件費として、料理人やスタッフに還元する。携わる人すべて充実感があり、そんなスタッフが接するので、お客さんも喜ぶ。かつ、必要最小限のゴミしか出ない。

 

 となりには直営のレストラン。和食、洋食、イタリアン、ベーカリー&スイーツ、買った魚もそこで調理できる。

 

 刺身、海鮮丼、すし、そば、アジフライ定食、からあげ定食、ハンバーグ、ステーキ、ペスカトーレマルゲリータ、サンドイッチ、ティラミスにモンブラン…。

 

 ついでに、生ビール、ワイン、日本酒、テキーラ…、スムージ、タピオカ、ナタデココにノンアルビール。

 

 郊外であれば、毎回アッシーくんのおとうさん(おかあさん)のために、駐車所にはタクシー、運転代行常駐。ご近所のお年寄りには、ご自宅まで無料送迎、ま、送りだけでも。

 

 大量仕入れ&大量販売、見栄えのための過剰包装。便宜さを追求した流通パッケージ。膨れ上がり続ける企業スーパーの陰で、たくさんの「捨てられる食材」が泣いています。

 

 そそのかされるままに、ホイホイと買ってしまう消費者サイドにも問題があり「食材を大切に扱っている」という共通の意識のもとに、そういうお店を選ぶ。お客さんが来なければ、販売店もやり方を変えなくてはやっていけません。お客さんが販売店を育てる。その国も民度も格段に上がっていきます。

 

 食の基本的なとらえ方が、どんどん骨太になっていって、すべての、あらゆる生活文化が質に沿った、商業ルートに乗らない体質になり、国民の意思が流通をリードする。世界からは「日本ではそのやり方は通用しない」と、いわれるような。

 

 恵方巻、バレンタイン、土用のウナギ、大根のつま、冬のイチゴにハローウィン

 

 日本の“お家芸”でもある、物を大切に扱う、ゴミを出さない暮らし、春には春の、秋には秋の、その時の食材でおなかを満たす。冬にキュウリがなくても、暮らしに支障はありません。

 

 夏に作ったうめぼしが、残りわずかとなった今日、このごろ。イナダのあら煮をつまみながら、とーやは考えるのでありました。

 

 早く、梅、咲かないかなぁ~、と。

 

 *とーや=我が家での(おとうさん・オヤジという意味の)わたしの呼ばれ方です。

RENATO e SASSA no BOTAFOGO

 

 ちょうど、今から20数年前、ぼくがリオデジャネイロという街にハマっていたころ、本田圭佑の移籍先、ボタフォゴ(Botafogo)にレナート・ガウーショ(Renato Gaucho)という選手がいました。見た目も男前で、長髪をなびかせて、すいすいと相手の間をすり抜けていくドリブルは、多くのサッカーファンを魅了しました。

 

 しかし、何よりも、ぼくの記憶に残っているのは、彼は、スネあてを使わないでプレーしていたことです。ソックスをくるぶしのあたりにまで下げて。もちろん、ブラジルでも激しいプレーは日常的にあり、防具をつけずにプレーするなんて…!他にこんな選手はいません。

 

 走りやすいから、ソックスが邪魔だから、などと、勝手に想像していましたが、いまだに、なぜ、彼がソックスを下げてプレーしていたのか、ぼくは知りません。

 

 それから、何十年も経ち再びブラジル。相変わらず、ゲームのある日は、どの家もサッカーを見ています。ワールドカップの記録的な大敗の余韻も冷めない頃、ボタフォゴにはサッサ(Sassa)という新人が出てきました。とにかく、動きの激しい選手で、ピッチ狭しと走り回ります。後半の切り札として使われていて、残り25分くらいになると、サッサが出てきます。

 

 ボタフォゴのゲームでは、後半30分くらいになると、そろそろサッサの時間だ、という空気が生まれてきます。ぼくの記憶に残っているあるゲームで、後半も大詰めのところに、サッサがピッチに。ダーッと走りまわって、激しいタックルしちゃって、出てきた途端に、1発退場。

 

 余り、必死になってサッカー観ていたわけではありませんが、やはりブラジルで暮らしていると、必然的に生活の一部に、サッカーは入ってきます。老若男女、世代に関係なく、みんながファンであり、監督であり、辛口の評論家です。

 

 立て替えて、新しくなる前のマラカナンサッカー場にはよく行きました。近くには、サンバで有名なサンボードロモや、電車やバスの大きなターミナルがあり、まさにここがリオの中心部です。試合はおおむね夜に開催されて、スタジアムの外から、何やら熱い雰囲気がたまっています。サッカーが始まると、さらにヒートアップして、いささか、女性や子供にはお勧めできません。

 

 もめごとは多く、警備にあたる警察官も必死。スタジアムの2回、3回からは、いろんなものが落ちてきて、外では、最上階から何やら落ちてきたりと、場面によってはかなり危険です。

 

 ボタフォゴのファンはフォガンと呼ばれ、これは直訳すると、ガスコンロのことですが、それと、火をつける=ボタフォーゴとをかけて、そう呼ばれています。リオで白と黒の縦じまのユニフォームを着て歩いている人は、ほぼ、フォガンです。

 

 一度、スラム街の人たちと「ボタフォゴフラメンゴ」の試合を見に行ったことがあります。これは、当時、行政が貧しい人たちに対する政策で行っていたことのひとつで、みんなでお揃いのTシャツを着て、引率の保護者が数名と、あとは主に子供たちがメインです。無料でトップチームのゲームを観戦できて、ハーフタイムには軽食も出してくれます。

 

 いつものように白熱した試合展開で結果は1-1のドロー。途中で、引率係のお父さんが白熱してスタジアムの椅子を壊してしまい、そこで警察出動。政府支給のTシャツの下にタテジマのユニフォームを着ていたのが、いささか気にはなっていたのですが…。

 

 帰りのバスでは反省会。しかし、はなす話題はすべてサッカーの事。子供もお母さんもみんなで「もう2点取れた!」「私が監督だったら~」「あのジャッジは間違っている」「後半に、フォワードを変えるべきだった」などなど、すでに、ちびっ子たちも一流のサッカー・アナリストです。

 

 こうして、人々は、コーヒーや、サッカー、時にサンバ、そして大西洋の潮風にあたりながら成長し、老い、語り、囁きながら、リオの中で暮らしていくのです。もちろん、ブラジルのほかの街でもおなじ。朝のコーヒーとパン。バターとお手製のジャム。ハムとチーズ。テーブルの上にはいつもオレンジやマンゴ、いろいろなフルーツ。ランバーダやフォフォーを踊りながら。

 

 本田圭佑の朝を、コーヒーの香りと潮風が迎えます。

ボタフォゴ、HONDA、フォガン、

 

 ちょうど、ブラジルに行き始めたころ、サンパウロのサントスでカズがプレーしていました。その数年後にJリーグが始まり、チューブのギタリストが演奏する曲に乗って、カズがボールから出てきたのを、今でもよく覚えています。 以来、ブラジルのプロリーグで、あまり日本人の名前を聞いたことがありません。

 

 ベルディー対マリノスの開幕戦で、マイヤーが記念すべきjリーグの初ゴールを上げます。カズのプレーはひときわ光っていましたが、それ以外の日本人選手には、まだ、突出したプレイヤーはいませんでした。当時のJリーグは、海外から来る外国人選手とのレベルの差は大きかった。

 

 そして、ホンダがリオにつきました。あれだけ多くの海外経験を積んだ本田が、ブラジル、しかも、リオのチームを選んだのには、驚きました。ブラジルでは、今も昔も、財政力があるのは、サンパウロやミナスジェライスのチームで、リオはその次くらいです。

 

 リオでは、フラメンゴフルミネンセ、ヴァスコ、そしてボタフォゴ。国内のファンも、フラメンゴを筆頭に、大体この4チームに分散されています。特にワールドカップ後、活躍したA代表の選手が、リオのクラブに復帰するということはよくあって、これは南米市場では珍しい、ヨーロッパのビッグクラブから、ブラジル国内リーグに移籍するという形です。お金の問題さえ片付いていれば、その後しばらく、あるいは、そのままブラジル国内でプレーを続け、もちろんリオっ子たちは大歓迎です。

 

 ぼくが本田のボタフォゴ加入で思うことは、ホンダのクオリテーの高さです。世間一般的な移籍時の動き方や、おそらくはいろいろなこともささやかれている中、彼は、確固とした自分のスタイルを持っています。サッカーでもプレーそのものよりも、入団、退団、移籍、ビジネスや暮らし方まで。ホンダから学ぶことは多く、かつ、彼の経験は他に有無を言わせない力があります。

 

 なぜ、本田がブラジルを選んだのか?なぜ、ボタフォゴなのか?世間一般的にはこれからいろいろは形で報道されることでしょうが、その本当の部分、真の理由があるとすれば、彼は今のところは他言しないでしょう。

 

 ぼくが勝手に推測すれば、おそらく本田は、一度も経験したことのない、ブラジル、さらに南米のサッカー、文化、考え方、を勉強したいのだと思います。敷いては、今後、サッカー界と接している以上、今以上ブラジル人との関わりも多くなり、関係は永遠に続きます。その、これからの本田の人生にとって、ブラジルというところはかなり重要なウェイトを占めている。ブラジルでホンダは何かをやろうとしている、のではないのかな?と。

 

 明るくなるのが、だんだんと早くなってきました。交通量も少ない日曜日の目白通り。あれっ?こんなところに電球あったって?よく見ると、木の枝の陰からオレンジ色の満月。これはよく軽井沢の離山線を夕方走る時に見る、あの大きな満月と同じ。

 

 どこか“ドテチン”と思える、ホンダの笑顔が、満月の中に浮かぶのでした。

一日 = 毎日。

 

 一日中、どこかの時間で働いている人がいます。最近は深夜営業、24時間営業が話題になっていますが、やはり、道路工事や施設の電気工事、日中では交通量や歩行者が多かったりして、深夜、世の中が寝静まったころから作業しだすのは効率的です。

 

 コンビニなどの販売店は、それほどまで、深夜営業する必要性はなく、夜中の3時にお弁当が買えなくても、ピンチになる人はほぼいないでしょう。

 

 交通機関では、ほとんどが、終電、始発営業ですが、ここは本数を減らしても、24時間動いているべきだと思います。深夜に活動している人たちの足になり、走って最終便にかけつかなくてもいいように。

 

 ブラジルでは、都市部の路線バスなどは、一日中動いています。治安の問題もややありますが。当然、広い国なので、長距離バスも運転手を代えながら数日間走り続けます。街中では、いつでも待っていればバスが来るというのは、その分、人たちは帰りの時間を気にしないで、今を楽しむことができます。最終があるとそれに合わせた行動をその前に取らなくてはならないので、生産性の面からも効率が悪くなります。

 

 夜、遊んでいた人たちも、最後は自宅へと帰るので、無理な泊まり歩きもしないで済む。何よりも、終電を気にしながら、飲んでいるのは最悪です。なので、ぼくは、早い時間からではないと、外でのみにはいきません。また、飲み食いに¥3000使って、タクシーに¥5000使って帰ってくるようなこともしません。

 

 深夜営業については、本当に必要なものと、なくても差し支えないものに分けて、あとはその事業主が決めればいいと思っています。何か、命を削ってまで夜中に働くことはないと。夜は暗くて静かなものです。ここで動くのは、体力のある若者に任せましょう。

 

 生き物の世界では、あえて夜に活動するものがいますね。必要性に応じて、そういった進化をしてきて、体の機能の十分に夜対応している。しかし、人間は多かれ少なかれ、太陽に当たらないと具合が悪くなってしまいます。理想は、日の出とともに起きて、日没とともに眠る。日中は活動的に、激しい動きに合わせた体調になり、日が暮れると、休養の時間。生命活動を体のメンテナンスに充てる。

 

 それぞれの人種に合わせた、この時間帯での活動が人を健康に保つ。健康であれば、精神状態も落ち着いて、無駄ないさかい事もなくなる。人は、その力を自然と対峙するために使う。争いごとをしている場合ではありません。

 

 毎日毎日、同じ行動をとる。朝は起きてからこうやり、仕事から帰ってくると、まずはこれから取り掛かる。というようなことの繰り返しで、日々、継続してやる。このやり方だと、あまり無理をしないで、体がだんだんと慣れていきます。体のリズムができてきたら、もうこっちのもの。ストレスなく、きちっとした暮らしに落ち着きます。

 

 どこか、調子を落としそうなときは、大体わかります。小さな体の異変にも、早めに気づくことになり、結果、じっとしているうちに、体は元に戻っていきます。そして、どうして調子を落としたのだろう?という原因も、数日前にさかのぼって、いつもと違った行動を思い出してみれば、原因も見つけやすくなります。

 

 お金もかからないし、ある意味、お医者さんの出番もありません。自分の体と、よく会話することの大切さがここにあります。病気になる時は、すべてを把握するのは不可能ですが、あらかじめ予知したり、気を付けることで、予防になります。病気はほとんど、あるいはすべてが、症状が出る前の、直近の暮らしぶりがどうだったか?というところに明白な原因があります。

 

 ぼくの場合、こういう暮らしに必要のないものベスト3は、1、テレビ、2、付き合い、3、食べすぎ、です。テレビは言うまでもありません。友人が東京に来て「じゃ、池袋あたりで一杯やろう!」これは付き合いではありませんよね。それと食べ過ぎ。これぼくも今だに、たまにやっちゃいます。食べているときも、後半戦は闘いみたいになってしまって「やっぱり、もっと押さえておけばよかった…!」と。

 

 後悔先に立たず。

 

 そんな暮らしを続けながら、少しづつ、新しいメニューを模索しています。

SOLA・そら・空。

 

 

 空を見るのが好きです。朝、昼、夜。明け方、夕方。夜に、起きてしまうと、ベランダや裏庭に行く癖があります。空を見て、一服して、空。

 

 長野県で見る夜空の星は格別で、気温が冷えてくると増々時間を忘れ、寒さに我慢できなくなるまで眺めています。願い事を頼むのは至難の業ですが、流れ星は結構、飛んでいきます。星座には詳しくないので、星の名前などはわかりませんが、総称して「いつもの星」と。

 

 ブラジルに移住し、郊外の目的地に着いた最初の夜、空を見ていると、見慣れた星を見ました。誰でも知っているオリオン座。日本でもおなじみの星ですが、あれれ、こっちでもみれるんだ、と感激です。ちょっと角度が違うような気がしますが、間違いなくオリオン座です。

 

 練馬の空は、最近飛行機が増えて、そのたび「こんなに飛行機とんでいたっけ?」と、いつも思うのです。わりかし近いところを、旅客機が飛んでいます。星こそ、あまり見えませんが、飛行機はたくさん飛んでいます。

 

 ブラジルでも、空港の近くの街では、乗り入れしている各国の国際線や、ブラジル国内線が、かなり低い位置で飛んでいるのを見ることができます。ベランダで一杯やりながらのときなどは、もってこいのつまみになり、ビールがすすみます。

 

 一方、郊外では、まず、旅客機など飛んでいませんから、たまに見るのは、小さな自家用飛行機。そのかわり毎日同じ時間に、どこかの国の静止衛星が、スーッと流れていきます。唯一、明るい時に見える星。そして、夜になればこちらも星空のメッカで、流れ星も見放題。BGMは、たまに聞こえる牛や鶏の寝ぼけ声。

 

 それほど動きはありませんが、空を見ていると退屈しません。

 

 熱帯魚を飼っていたころ、やはり同じことがありました。水槽の魚を見ていると、時間を忘れます。危ないのは、室内で時間を忘れると、お酒が止まりません。特につまみの必要なく、ちびちびとやってしまうのです。餌用の芋虫を飼っていたのは大ひんしゅくを買っていました。「みんなも、からあげやハンバーグ、食べるでしょ?」と、納得させていましたが、その手は早々と、使えなくなりました…。

 

 交通量の多い目白通り。車のヘッドライトは流れの中できれいです。見ているこっちをむこうも見ている、ので、それほどリラックスしてもいられない。富士山同様、夜の道路は高いところや、見える場所までいかないと見ることができません。

 

 自分の住まいで、こういう場所があることが、ぼくの住居選びの基本です。都会では、なかなかと難しい注文ですが、それなりに安くていいところを見つけています。長野県に住んでいるときは、ほぼ、町のどこからでも浅間山を見ることができたので、何か、浅間山に見守られている気になります。「母なる山」とは、いい得て妙、まさにぴったりの言葉です。

 

 おもえば、人間以外のすべての生き物は、月や太陽、自然から時を感じ知るわけで、カレンダーと時計頼みの我々とは、1歩も2歩も高い能力を持っていることになります。というより、昔々は、人間もそうだったのでしょう。山と対話し、川や海の声を聴いて、空を眺めていた。それが、どんどん退化していって、今はこの様です。

 

 先人たちの知恵を使い、生き物の動きを見て暮らしの参考にし、自ら自然の掟に従い、その一員として共に暮らしていく。気持ちのいい場所を選ぶ。まだまだ、ぼくの周りには無駄なものがたくさんあります。人の歴史よりも、はるか前からそこにあるオリオン座の下に、ボーっと突っ立ているぼくを見て、水槽にいた魚たちは、笑っているんでしょう。