ボタフォゴ、HONDA、フォガン、

 

 ちょうど、ブラジルに行き始めたころ、サンパウロのサントスでカズがプレーしていました。その数年後にJリーグが始まり、チューブのギタリストが演奏する曲に乗って、カズがボールから出てきたのを、今でもよく覚えています。 以来、ブラジルのプロリーグで、あまり日本人の名前を聞いたことがありません。

 

 ベルディー対マリノスの開幕戦で、マイヤーが記念すべきjリーグの初ゴールを上げます。カズのプレーはひときわ光っていましたが、それ以外の日本人選手には、まだ、突出したプレイヤーはいませんでした。当時のJリーグは、海外から来る外国人選手とのレベルの差は大きかった。

 

 そして、ホンダがリオにつきました。あれだけ多くの海外経験を積んだ本田が、ブラジル、しかも、リオのチームを選んだのには、驚きました。ブラジルでは、今も昔も、財政力があるのは、サンパウロやミナスジェライスのチームで、リオはその次くらいです。

 

 リオでは、フラメンゴフルミネンセ、ヴァスコ、そしてボタフォゴ。国内のファンも、フラメンゴを筆頭に、大体この4チームに分散されています。特にワールドカップ後、活躍したA代表の選手が、リオのクラブに復帰するということはよくあって、これは南米市場では珍しい、ヨーロッパのビッグクラブから、ブラジル国内リーグに移籍するという形です。お金の問題さえ片付いていれば、その後しばらく、あるいは、そのままブラジル国内でプレーを続け、もちろんリオっ子たちは大歓迎です。

 

 ぼくが本田のボタフォゴ加入で思うことは、ホンダのクオリテーの高さです。世間一般的な移籍時の動き方や、おそらくはいろいろなこともささやかれている中、彼は、確固とした自分のスタイルを持っています。サッカーでもプレーそのものよりも、入団、退団、移籍、ビジネスや暮らし方まで。ホンダから学ぶことは多く、かつ、彼の経験は他に有無を言わせない力があります。

 

 なぜ、本田がブラジルを選んだのか?なぜ、ボタフォゴなのか?世間一般的にはこれからいろいろは形で報道されることでしょうが、その本当の部分、真の理由があるとすれば、彼は今のところは他言しないでしょう。

 

 ぼくが勝手に推測すれば、おそらく本田は、一度も経験したことのない、ブラジル、さらに南米のサッカー、文化、考え方、を勉強したいのだと思います。敷いては、今後、サッカー界と接している以上、今以上ブラジル人との関わりも多くなり、関係は永遠に続きます。その、これからの本田の人生にとって、ブラジルというところはかなり重要なウェイトを占めている。ブラジルでホンダは何かをやろうとしている、のではないのかな?と。

 

 明るくなるのが、だんだんと早くなってきました。交通量も少ない日曜日の目白通り。あれっ?こんなところに電球あったって?よく見ると、木の枝の陰からオレンジ色の満月。これはよく軽井沢の離山線を夕方走る時に見る、あの大きな満月と同じ。

 

 どこか“ドテチン”と思える、ホンダの笑顔が、満月の中に浮かぶのでした。