RENATO e SASSA no BOTAFOGO

 

 ちょうど、今から20数年前、ぼくがリオデジャネイロという街にハマっていたころ、本田圭佑の移籍先、ボタフォゴ(Botafogo)にレナート・ガウーショ(Renato Gaucho)という選手がいました。見た目も男前で、長髪をなびかせて、すいすいと相手の間をすり抜けていくドリブルは、多くのサッカーファンを魅了しました。

 

 しかし、何よりも、ぼくの記憶に残っているのは、彼は、スネあてを使わないでプレーしていたことです。ソックスをくるぶしのあたりにまで下げて。もちろん、ブラジルでも激しいプレーは日常的にあり、防具をつけずにプレーするなんて…!他にこんな選手はいません。

 

 走りやすいから、ソックスが邪魔だから、などと、勝手に想像していましたが、いまだに、なぜ、彼がソックスを下げてプレーしていたのか、ぼくは知りません。

 

 それから、何十年も経ち再びブラジル。相変わらず、ゲームのある日は、どの家もサッカーを見ています。ワールドカップの記録的な大敗の余韻も冷めない頃、ボタフォゴにはサッサ(Sassa)という新人が出てきました。とにかく、動きの激しい選手で、ピッチ狭しと走り回ります。後半の切り札として使われていて、残り25分くらいになると、サッサが出てきます。

 

 ボタフォゴのゲームでは、後半30分くらいになると、そろそろサッサの時間だ、という空気が生まれてきます。ぼくの記憶に残っているあるゲームで、後半も大詰めのところに、サッサがピッチに。ダーッと走りまわって、激しいタックルしちゃって、出てきた途端に、1発退場。

 

 余り、必死になってサッカー観ていたわけではありませんが、やはりブラジルで暮らしていると、必然的に生活の一部に、サッカーは入ってきます。老若男女、世代に関係なく、みんながファンであり、監督であり、辛口の評論家です。

 

 立て替えて、新しくなる前のマラカナンサッカー場にはよく行きました。近くには、サンバで有名なサンボードロモや、電車やバスの大きなターミナルがあり、まさにここがリオの中心部です。試合はおおむね夜に開催されて、スタジアムの外から、何やら熱い雰囲気がたまっています。サッカーが始まると、さらにヒートアップして、いささか、女性や子供にはお勧めできません。

 

 もめごとは多く、警備にあたる警察官も必死。スタジアムの2回、3回からは、いろんなものが落ちてきて、外では、最上階から何やら落ちてきたりと、場面によってはかなり危険です。

 

 ボタフォゴのファンはフォガンと呼ばれ、これは直訳すると、ガスコンロのことですが、それと、火をつける=ボタフォーゴとをかけて、そう呼ばれています。リオで白と黒の縦じまのユニフォームを着て歩いている人は、ほぼ、フォガンです。

 

 一度、スラム街の人たちと「ボタフォゴフラメンゴ」の試合を見に行ったことがあります。これは、当時、行政が貧しい人たちに対する政策で行っていたことのひとつで、みんなでお揃いのTシャツを着て、引率の保護者が数名と、あとは主に子供たちがメインです。無料でトップチームのゲームを観戦できて、ハーフタイムには軽食も出してくれます。

 

 いつものように白熱した試合展開で結果は1-1のドロー。途中で、引率係のお父さんが白熱してスタジアムの椅子を壊してしまい、そこで警察出動。政府支給のTシャツの下にタテジマのユニフォームを着ていたのが、いささか気にはなっていたのですが…。

 

 帰りのバスでは反省会。しかし、はなす話題はすべてサッカーの事。子供もお母さんもみんなで「もう2点取れた!」「私が監督だったら~」「あのジャッジは間違っている」「後半に、フォワードを変えるべきだった」などなど、すでに、ちびっ子たちも一流のサッカー・アナリストです。

 

 こうして、人々は、コーヒーや、サッカー、時にサンバ、そして大西洋の潮風にあたりながら成長し、老い、語り、囁きながら、リオの中で暮らしていくのです。もちろん、ブラジルのほかの街でもおなじ。朝のコーヒーとパン。バターとお手製のジャム。ハムとチーズ。テーブルの上にはいつもオレンジやマンゴ、いろいろなフルーツ。ランバーダやフォフォーを踊りながら。

 

 本田圭佑の朝を、コーヒーの香りと潮風が迎えます。