イチバン

 花道に現れた時から、彼の顔つきは変わっていた。見つめるのは土俵の一点。三十三場所続いた大関の位置から陥落。しかし、休場などという言葉は彼にはない。次の大阪場所で復帰を目指す。今日の相手の栃ノ心大関経験者。そして、豪栄道は花道を歩き出した。

 

 「今日からの三番は来場所へと続く取り組みだ」と北の富士が解説する。まさにそのとうり。相撲界に人生をおく北の富士ならではの、豪栄道の心までも読んだ一言だ。勢いのある立ち合いから左前まわしを取り、そのまま栃ノ心を土俵の外まで追い出した。「これぞ、大関相撲!」と、北の富士の心も喜んでいる。

 

 豪栄道の相撲を見つめる心が伝わったのか、次の一番、高安も変わった。昨日までとは明らかに違う力士だ。というより、これが本来の高安だ。関脇に陥落し負け越しも決まり、結果の出せない場所だった。しかし、今日の高安は見ごたえがあった。そして相対した貴景勝も見事だった。鼻血を出しながらも激しい相撲。強烈な一番を征した。土俵上でいう激しい相撲とは、本来こういった相撲のことだ。品のある強い者同士の闘いだった。

 

 相撲は、何も優勝だけではない。それぞれの力士に、それぞれの闘いがある。人はそこに魅かれ、応援し、声を上げるのである。こういう取り組みは、忘れ去られることなく、いつまでも心の中に映し出される。人それぞれ、この一番がある。勝った相撲もあれば、負けた相撲もある。ここに、勝ち負けは関係ないのだ。

 

 負けた相撲でも、土がつくその瞬間までは、勝つために必死になってもがいている。

 

 

        輝くことよりも、続けることだ。

 

 

 年を重ねていくと、あこがれの選手が引退して、だんだんアイドルが子供に見えてくる。同年代の力士がいなくなって、やがてプロ野球からもいなくなる。知らない人たちがテレビに出るようになって、見たことのないビールが売られている。

 

 自分よりも二回りも違う力士たちの取り組みを見て、年を忘れる。言葉もわからずに角界へと飛び込んできた若者たちの成長した姿、苦悩する姿を見て、国境すらもなくなってしまう。がんばれ!同時に、自分にもがんばれ!と。