本。

 

 

 なかなか、いい本に出会えません。ネットですすめられるままに、いくつか買いましたが…。そもそも、このところのぼくは、本を読をむ習慣がありません。ここ、何十年も、じっくりと本を読んだことも。かつて、活字中毒になっていた時期もあるんですが。

 

 開高健椎名誠、C・W・二コル、を読んでいました。

 

 今から、約30年前。池袋で働いていたころ、よく仕事帰りに本屋によりました。池袋には、いい本屋が多く、遠回りまでして、わざわざ新宿まで行くこともありません。やることがない通勤時に、電車の中で読む文庫本には、ずいぶん助けられました。

 

 ぼくは、ウォークマン持っていなくて、少年ジャンプを毎週買う人種でもありませんでした。そして、出会いました。「鬼平犯科帳」池波ワールドに見事にハマりました。テレビシリーズも放映されていて、これがまた見事な作品。エンディングで流れていた、ジプシーキングス「インスピレーション」。

 

 この曲が、人生のターニングポイントになりました。曲と一緒に流れるバックの映像も最高で「これは、今までの時代劇とは違う!」鬼平のクオリテーに心底、酔いました。

 

 中村吉右衛門鬼平。記憶が正しければ、柄本明の小野十蔵、丹波哲郎の蓑火の喜之助、国村隼の雨引きの文五郎、そして江戸や猫八の相模無宿の彦十、蟹江敬三は小房の粂八、長谷川久栄の多岐川裕美、尾美としのりは、うさ忠、木村忠吾、…。

 

 文庫本を買って、電車の中、夜寝る前、ブラジルではリオの海岸で、何しろハマりました。いい本の条件は、なんといっても「時間を忘れてしまう」ということです。どんどん本の中の世界に入って行ってしまって、普段の言葉遣いにも「やや?」とか「しかし、某…」「そこもとは…」「手向かうものはかまわん、切り捨てぃ!」なんて、ほとんど、もう病気の世界です。

 

 江戸の町、自然、風情、食べ物、暮らし…、

 

 開高健の本は、読めば読むほどに奥が深くわかってきて、物を例える表現の世界に酔いしれました。戦争を知らないぼくたちにも、当時の臨場感や、心の葛藤が、手に取るように伝わってきます。椎名誠はとにかくおもしろくて、世界中のいろんな所へ行って、体当たりで進んでいく様は、いつも幸せな気分にさせてくれます。C・W・二コルは、自然や生き物の知識に長けていて、ある意味、最高の教科書です。

 

 人生の節々に出てくる鬼平の言葉。大した人生を送っているわけではありませんが、「こんな時、長谷川平蔵だったらどうするんだろう?」「これをやったら、おまさだったら、どんな気持ちになるのだろう?」「こんな時、大滝の五郎蔵だったらどっちへいくのだろう?」

 

 物語はどんどん進み、誰しもが同じ思いを感じていた。秋山小平の「剣客商売」。藤枝梅安の「仕掛人・藤枝梅安」。そして、長谷川平蔵の「鬼平犯科帳」。この3つの物語が、だんだんと近づいてきた。一体、世の中はどこへ向かっているんだろう?このときの高揚感は、いままで活字から感じ取ったものの中で、最高の力だった。

 

 二次元、三次元を超えた、四次元以上の妄想が、頭の中を走りだして止まらない。いったい、この3人を相手にする悪党とは、どんな奴なんだろう。でも、この役は並大抵の人物では務まらない。それほどの悪を、どう作り出すのか?

 

 そして、ここで筆が止まってしまう。鬼平犯科帳の最後のページ、最後の文字「絶筆」。うなだれてしまった。もう少し時間がかかると思うけど、ここはぜひ、お会いしたら、うかがってみたい。だれにも言わないから。

 

 やっぱり、ネットでリサーチして、ポチっとやるよりも、本屋へ行き、売り場の中で、表紙を見て、手にとって、そこで、買ってみた方がいいのではないのか?そして、読みたくなるような本に出会うのかと思います。

 

 レコードを買うときもそうでした。ジャケ(ジャケット)買い。中にどんな音楽が入っているのか全く分からないままに、見た目から伝わってくるものだけで買う。これ、出会いの宝庫でした。人それぞれに、様々な感性があり、伝わり方も違う。レコードや本と「目が合った」瞬間を、待っているのかもしれません。

 

 どこへ行くにも、文庫本を必ず持って歩いていました。国内、海外を問わず。また、あの頃のように、本屋さんで過ごす時間が、増えそうです。そう、考えただけで、なんだか楽しくなってきます。

 

 今となっては、一緒に老眼鏡も持ち歩かなければなりませんが。