青い空の下で

 ブラジルで気づいた「素敵」なことです。

 

 北東部に「サルバドール」という町があります。いつも、ここで数週間、数ヶ月を過ごすのが、当時の僕の旅です。なんとも強烈な経験をし、骨の髄までブラジルに浸り、僕の文化圏は一気にアフリカまで広がりました。リオでは、あまり感じなかったことですが、読み書きの出来ない、いわゆる文盲の人たちが少なからずいて、年や性別はあまり関係なく、どちらかというと、スラム街の黒人に多い気がします。

 

「明日、ランチしましょう!アントニオのレストランで!」

「いいよ、どこだっけ?」

「セー広場の黄色い看板の店よ」

「OK!」

 

 いつもの広場で「火曜日のブロコ」というイベントで知り合った、同年代の人たちと祭りを楽しんでいました。毎週火曜日に行われる地域の祭りですが、ここはアフリカにルーツを持つブラジル音楽の中心地。一般人に混ざり、有名なミュージシャンやアーチストも、横でビールを飲んでいたりします。片言の言葉で会話をしていた僕でしたが、行き詰ると、鉛筆を取り出し「筆談」。そんななか、知り合った彼ら、彼女らのなかにも、やはり、読み書きのあまり得意ではない人たちがいます。ところが、彼らは楽器の演奏もうまく、歌や踊りは息を呑むほど美しい。どうやって、歌詞を覚えているんだろう?僕なんかよりもぜんぜん記憶力がよくて、電話番号を一回で覚えてしまう子もいた。

 

「あ、その青いシャツ。

 去年、ドゥドゥーの店でチキン食べたときに着てたやつね、いい色」

 

 読み書きが出来ない人が、出来る人よりも劣っているというのは、間違いです。彼らは、音やリズムを耳や身体で感じ、目に映るものは色や光で覚え、人間や草花、生き物、食材や料理は香りで見分け、言葉は心と表情で聴く。メモばかりとっては忘れる僕とは違い、むしろ、その点で明らかに秀でています。全身全霊で情報を処理し、発信している。たしかに、音楽や料理に文字は必要なく、むしろ邪魔かもしれません。数字だってデザイン。

 

 手にした紙と鉛筆をかばんに戻し、何も持たずに外に出る。目に映る街、人、肉の焼ける匂い、潮風と混ざった海老コロッケの香り・・・。セー広場の角をまがって、黄色い看板のレストランでのどを潤す。聞きなれた足音、

 

「オラーッ!」

 

彼女が来た。