アサイー。

 

 久しぶりに、朝の雨が降っています。まだまだ夜のうちに、一瞬、強かった雨脚もすぐに弱まり、道路を走る車の音だけが濡れている。雨といえば、リオのカーニバルでは「必ず一日は雨が降る」と、いわれています。実際、だいたいそうなります。

 

 1988年、この年から、ぼくは、リオに住んでいました。ぼくのはじめてのカーニバルも雨。そして、この年、ブラジル歴の浅いぼくに地元のセニョーラが「まずはこれから始めてみなさい」と教えてもらったのが、スッコ・ジ・マラクジャ(パッションフルーツのジュース)とミストケンチ(ハムとチーズの焼きサンド)です。外に出るたびに、街の至る所にあるジューススタンドで注文していました。

 

 マラクジャは日本にはない不思議な味で、いかにも南のフルーツといった香り。街中には、こういったジューススタンドやコーヒースタンド、ちょっとつまむ軽食を売る店がたくさんあり、わざわざ探す必要はありません。チョイ飲みビールもいいですが、炎天下の中、海の行き来にジューススタンドによってマラクジャするのも、最高のルーティンです。

 

 このころ、海や街でよく見かけたのが、柔道着を着た人たち。正確に言うと子供も含めた若者たち。みんながやっているのは「柔術」。年々、柔術道場は増えていき、柔道着で歩く人たちも増えました。やはり、骨格の違いからか、ものすごい筋肉をした猛者から、ちびっ子柔術家まで、みんな稽古に必死です。このころ、リオで柔術は大ブーム。

 

 当時の記憶で、ビール(小ジョッキ)¥100、フルーツジュース¥120、ミストケンチ¥120、ちっちゃコーヒーワンショット¥50…、日本円でこんな感じだったと思います。そして、このマッチョな柔術家たちが「この中にはたっぷりと鉄が入っているんだぞ!」と、好んで飲んで(食べて)いたのが「アサイー(¥400)」です。

 

  食べて、と書いたのは、日本でのアサイーとは違い、当時の現地のアサイーは、アイスクリームと混ざっていて、その上にプロテインやらシリアルやらをトッピングしてスプーンで食べるのがオリジナルです。こちらでいえばアサイーボウルのような。カフェのメニューというよりは、鉄分補給スーパーサプリといったところで、アサイー = 格闘家のイメージです。

 

 かくいうぼくも、ハマります。ほかのメニューと比べて格段に高いので、ビールやジュースほどではないものの、ジューススタンドでの定番となりました。ジューススタンドでアサイーがないところはなく、ぼくが知らなかっただけで、前々からリオっ子たちの食べ物でした。海、ビール、時々、アサイー、ってな塩梅です。

 

 ところ変わって、数年後。群馬県のブラジル食材ショップで冷凍アサイーと出会います。懐かしさから当然、飛びつきました。「ん~、これこれ!」などと自分で堪能した後に、自分の店で出してみます。お客さんの反応は「あ~、なるほど…、」と、アイスクリームの新しい味、的な立ち位置でした。やがて来るアサイ―ブームとは、似ても似つかないショボいアサイーデビューです。

 

 やがて、数十年がたちブームが来ます。日本人観光客の多いハワイから始まったとか。シリアルやドライフルーツをかけてバナナやイチゴもトッピング、ぼくが始めてリオで食べたアサイーの進化版です。ヨーグルトや豆乳で割ったり、スーパーで見かけるようになったり。あとから出てきて衰退していったタピオカのように、これも日本での定番コースで、流行りのものが進む道です。

 

 このタピオカも、ずいぶんブラジルとは変わった形でブームになりました。現地では、クレープのように焼いて、好きなものをはさんで食べるのが主流です。タロイモ、キャッサバ、マンジオーカ、いろいろ呼び名はありますが、ブラジルでは、むかしからある子供たちのおやつの定番です。日本のようにウミガメの卵型タピオカは初めて見ました。

 

 むかしむかし、高級フレンチでコンソメ・タートルスープの中に入っていた、あの亀の卵、と同じ?などと思いつつ、ブームが去った今でも、未だに、一度も飲んだことがありません。去年、ブラジルに行ったときに、当然、アサイーしました。世界のブームが逆輸入されたのか、飲むタイプのアサイーがこちらでも増え、街の至る所でアサイースタンド。リオでも、そして、何千キロも離れたフォルタレーザでも、緑と黄色の国で、紫色の看板が目立ちます。

 

 照り付ける太陽の中、木陰に入り、日本の倍甘いアサイーする。これもまたいいもんだなぁ~と。しかし、むかしと変わらず、あいかわらずのぼくには、高価なアサイーよりも、キンキンに冷えた生一丁!日本人が注意しなければならないルールは一つだけ。いかに相手が小ジョッキだろうとも、一気飲み厳禁。はやる気持ちを抑えて、ひとくちひとくちと上品に飲む。「ガー!ぷはぁ~」「くぅ~、うまい!」なんてやると、ドン引きされます。

 

 あれから20年、ぼくは、また、軽井沢でカウンターの向こう側に立っていました。朝のモーニング、看板メニューは、アサイーとブラジルコーヒーです。表通りとはいえ二階の飲食店、軽井沢的に考えると、立地条件はよくありません。店には表に掲げているブラジル国旗を見て入ってくる人がほとんどで、一般の観光客の人達は、ほぼ、素通りしてしまいます。

 

 でも、朝だけは別で、他に空いている店も少なく、どこか食べるところを探している人たちが、上がってきます。コーヒーの香りがする店内で、アサイーを食べるときのスプーンと食器が当たる音がしています。店の窓を全開にして、オープンエアーな快適空間。

 

 しかし、ここは軽井沢。こんなスタイルで営業できるのは、梅雨明けからお盆まで、お盆を過ぎて、旧軽井沢の花火が上がるころには、すでに秋の向こうに見える冬が、その気配を漂わせてきます。お盆までが勝負の朝のアサイーです。

 

 またブラジルへ行くのが楽しみです。騒がしい人混みの中、街の喧騒をBGMに、紫色のシャツを着たお姉さんの店で、アサイー、しましょ!

 

てへぺろ!」

 なんて言って、紫色の舌を出すのです。

 

 

 

はたらくおじさん。

 

 

 ブラジルで、カーニバルの時期になると、日本ではそろそろ「春一番」とか「桜の開花宣言予告」なんて言葉が聞こえだします。軽井沢では、いまだ厳冬期の真っただ中ですが、それでも、冬は終盤戦にさしかかってきた感がでてきます。じきに根雪が解けだし、木々が目を出し、山肌にこぶしの白い花が咲く。そして、都会からひと月遅れの桜が咲きだす。商い的にも、待ちに待った連休がやってきます。

 

 軽井沢で新しく別荘を購入した人の、庭の造園関係の要望で、特に多いのが紅葉と桜です。やがて孫が大きくなったら、この木の下で花見でも、と。寒いところですから、こればかりは東京の業者に頼んで、というわけにはいきません。小学校の入学、卒業写真では、やっぱり、あれば桜の木の下で。おそらく、何十年も前に、そこを見越して、この場所に植えられたのであろう、桜。

 

 花見をしない暮らしが長かったせいか、桜の時期になると、いつも「こんなに色うすかった?」と思うのです。桜といえばピンクと刷り込まれていますので、どちらかというと白い桜に、どこか違和感があります。一方で、梅は華やかです。さくらのひと足前に、まずは梅から春が始まる。やがて、実をつけ、梅干しに。梅派です。

 

 数年前、帰国した春に、高稲荷公園の桜を見に行きました。満開のソメイヨシノの中。母を連れてこれなかったのは残念ですが、やっぱり「桜」、日本人には特別な花です。

 

 帰国した時、ネット環境がなかったので、いつも駅前のマクドナルドへ行っていました。マックといえば高校生アルバイトの花形、でしたが、このところ「ポテトもおひとついかがですか~」の、スタッフの皆さんにも、だいぶ時代がのってきました。見渡すと、周りの席にいるみなさんも…。これは、マックに限ったことではありませんが。

 

 ヤクルトはすでにおばさんではなく、どこからみてもおねえさん。あるスーパーのチェーン店では「60歳以上に引き下げしました!」と、65歳以上からだった高齢者用のお得な買い物カードを、来月からスタート!と、勧める店内放送でにぎやかです。それを聞くたびに(オレもししゃごにゅうすれば…)と、何とも言えない、追いつめられた感に襲われます。

 

 年齢や時間に気を掛けない暮らしを、日々送ろうと思っています。が、なかなか、まわりは騒がしく営業してくれます。

 

 年をとったら、隠居してのんびりと暮らす。という生き方は危険で、隠居の仕方にもよりますが、それまで毎日働いていた人が、家でゴロゴロしだすと、すべてに「終わりに向かったスイッチ」が入ってしまいます。予防する方法はただ一つ、働くことを、動くことをやめない。つまり、最後まで動いている。こう考えています。

 

 金銭的にはもちろんですが、何よりも大切なのは「動ける体を維持していく」ことです。何も、ベンチプレスや公園一週のタイムで数字を作るということではなく、普通に過ごしていける体づくりです。電車の中で立っていても、帰宅後に家事をしても、休日の子供に付き合いされても、へたれないコンディション。

 

 最もやっていけないのは、テレビを見ながら、たまの病院通い。少しでもその兆候があれば、これは早急に改善しなければならない問題です。ぼくは、テレビ持っていませんが…。日中、よく動いた体は、心地よい睡眠を約束してくれます。

 

 仕事は何であれ、外に出るということは、社会との接点を持ち、それなりの新しい出会いがあり、今までのプライドを捨てて、もう一度生まれ変わる。なにより、天気のいい日には、太陽にあたることができます。そうしているうちに、しかるべき時が来たら、天が休みをくれる。

 

 気がつけば、周りはほとんど年下。同世代や、今や多数派の年上の皆さんと会い(まだまだオレは若い)を、実感するもよし。ドロップハンドルの若者のように飛ばすことはできなくても、ゆっくりと走り、それでも「さらり」とかわせる身でありたい。

 

 ベランダに出ると、散歩やジョギング、すでに出勤している人たちがちらほらと。一昔前には、この時間歩いているのは、酔っぱらった若者だけだった気がしますが、中には、ぼくよりも年上の人も。

 

  東の空が白んできました。

 

「いってらっしゃい!」

イタパリカ島。

 

 ブラジル北東部のバイ―ア州。リオ、サンパウロに並ぶ有名な都市で、その昔、アフリカからの奴隷船が着いた南米の玄関口という歴史もあり、食べ物や文化、人種や宗教は独特のものがあります。

 

 州都サルバドール。現在、ブラジルの首都はブラジリアですが、前リオデジャネイロ、そして、その前はここサルバドールが首都でした。黒人の多い街中には、奴隷船時代の資料館や建物など、やはりリオにはない魅力満載で、特に料理も含めた文化、音楽で有名です。ブラジル音楽に興味を持った人ならだれでも知っているミュージシャンたちも、この街の出身者がたくさんいます。

 

 バイ―アから音楽家たちはリオ、サンパウロに広がり、やがては世界でも名をはせるようになりました。ブラジル音楽をたどっていくと、行先はアフリカに向いてしまうのも、こういった理由からです。北ルートで北米ではニューオーリンズのジャズ、ブルース。中米ルートはレゲエなどのカリブ海音楽、そして、ブラジルのサンバ。

 

 音楽と一緒に、宗教や踊りや、そして、バイ―ア独特の料理。好みや、合う、合わないはありますが、一度行ったらやめられない、素晴らしいところです。暗く、つらい奴隷制ですが、いかに商人といえども彼らの心までは支配できなかった。

 

 悪徳商人たちは、その後、武器を売ったり、金融を支配したりと、常に人の犠牲の上に阿漕な生計を立てていますが、アフリカから来た音楽は世界中の人々を幸せな気分で満たしています。

 

 サルバドールの船着場から、小さな船が出ています。行先は「イタパリカ島」。ここに、ドナ・イザウラという女性がいます。ぼくが、リオに住んでいたころ、同じアパートに住む、懇意にしていた家族の女将さんがこの人の娘。彼女が体調を崩した時、一時、リオに一緒に住んでいました。

 

 ふらふらと過ごしていたぼくは、もっぱら買い物役で、ドナ・イザウラの注文を買ってくるのが日課です。なんといっても、この家族が作る料理はバイ―アそのもの。とにかくうまい!本場どうりの同じ味、香り、そして、言葉のアクセント。

 

 その数年後に、リオからバスで一日以上かけて、娘一家とドナ・イザウラを訪ねました。サルバドールのバスターミナルにつき、まずは、市内に住む彼女の兄弟の家に寄り数日。やはり、ガイドは地元の人が最高で、これぞ、バイ―アというところを堪能します。

 

 そして、船に乗ってイタパリカ島へ。市街地とは一転し、あまりコンクリートに覆われていない、まさに南の島です。そこら中に果物が生り、道端でBBQしている人、焼いているのは何か大きな魚。

 

 ドナ・イザウラの家は素朴な一軒家。周りにも家々がありますが、木々も多く、ものすごい蚊に慣れるまで数日かかります。そして、夜にはタランチュラ。ソファーの下からのそのそ出てきます。あとでわかったことですが、この蜘蛛には危険な毒はなく、見た目でずいぶん勘違いされている生き物の一つです。

 

 昼間、島の中を歩いていると、ひょい、と手を伸ばし、木になっているフルーツをつまむ。ドナ・イザウラの庭にはたくさんのマンゴー。夜、テーブルで話をしている人の頭の上には、蚊が渦を巻いて飛んでいる「蚊島」ができています。

 

 夜、この島にはほとんど街灯がありません。真っ暗闇の中を、月明かりだけで歩きます。月のない夜に、暗くなってから石につまづかないで歩けるようになるには、これも、慣れるまでなかなかに時間がかかります。色の黒い人は、本当に闇の中から「ぬぅっ」と、突然現れたり。

 

 リオしか知らなかったぼくは、バイ―アに強烈な印象を受け、以降、ブラジルに行くと、最後の数週間はここで過ごすようになりました。市内に宿をとり、アフリカ文化を継承しているブロコという組織を訪ね、公園に面した知り合いの炭焼き屋で一杯やったりしながら、ちょくちょくイタパリカ行きの船に乗って。

 

 そして、最後に寄るのがホテル「オットン・パレス」。ふと知り合った浅草サンバの代表にお勧めしてもらったのがきっかけで、このホテルを使うようになりました。なんといっても、プールの中にバーがあるのが魅力です。今となっては、世界のホテル事情もだいぶ変わりましたが、当時、いいホテル・宿というのは、探さないとなかなか巡り合えませんでした。これが、ぼくのバイ―アのルーティンです。

 

 あれから、四半世紀。孫からビデオメッセージが届きました。移っているのは「ドナ・イザウラ」。百歳を超えて、島一番の長寿者に。島の入り口には、彼女のために作られた大きな幕や旗が並んでいます。大勢の人達に囲まれ、島民から祝福を受けているドナ。役場の職員も総動員してお祭りです。

 

 蚊島の下で、クモを踏まないように暮らすドナ・イザウラ。

 

 たくさんの人達に、たくさんのことを、教え、話し、聞いて、

 今日も朝のコーヒーから彼女の一日が始まる。

 

 もちろん、ここはブラジル。

 コーヒーにはたっぷりの砂糖とミルク、

 パンには自家製のマンゴージャムで。

 

 ドナ・イザウラの「百何回目?かのカーニバル」が始まります。

 

 ボンジーア、ドナ・イザウラ!

 

 

 

 

アニサキス。

 

 とは、関係ありませんが、生まれて初めて、埼玉県の蕨に行きました。

 

 どことなく池袋エリア内、という感じがしますが、西川口を過ぎると、県境が近くにありそうな雰囲気になります(実際の県境ではありません)。待ち合わせの1時間前には、いつも現場にいるタイプなので、定石通り、ドトールコーヒーに入り、一服。1本のタバコを吸うために¥230使う、これも、ぼくのマヌケなルーティンのひとつです。

 

 ぼくが「朝からいい気分になった」のは、このドトールコーヒー蕨西口店。今まで、まずいと思っていたドトールのコーヒーですが、この店はおいしかった。BGMは馴染みのボサノバ、喫煙室にもコンセントが各テーブルにあり、清潔な店内にスタッフのクオリティ、これで、決まりです。

 

 久々の通勤電車に、やや朝から疲れてしまいましたが、ドトールコーヒーでリフレッシュ。昼には体が空くので、帰りに池袋の鮮魚売り場にでも寄って、何か買って帰ろう!

 

 鮮魚といえば、常に話題になっている「アニサキス」。ここ5年くらい前から、猛然と増えだして、今では、天然魚にはつきものです。いろいろな人たちが調べていますが、その原因については、まだわかっていません。海水温の上昇という、いつもの「記憶にございません」的な、それらしい台本どうりの言い訳も、あちらこちらで使いすぎて、もはや説得力はありません。

 

 アニサキスについて、知っていることをお話しします。資料やネットで調べたりしたものではないので、これは、ぼくの「個人的な見解」です。

 

 アニサキスはクジラやイルカなどの海洋哺乳類のおなかの中で成虫になります。よく見る、イカや生魚についている、白いミミズ状の奴は、アニサキスの幼虫です。クジラのおなかの中で成虫になったアニサキスは、そこで産卵し、卵はフンとともに海洋に放出されます。

 

 クジラのフンとともに放出されたその卵を、オキアミなどのプランクトンを食べている生き物が一緒に食べます。そして、そのオキアミを、食卓でもおなじみの魚たちが捕食。しかし、その、サバや、ブリたちの中では成虫になりません。主に、その腸や、内臓部分にとどまり、渦を巻いて寄生しています。これ、みなさんが知っているアニサキスの状態です。そこで、クジラやイルカなどに捕食されるのを待っています。やがて、終宿主にたどり着いたアニサキスは、そこで成虫になり、卵を産む。

 

 以前、大きな事故にあったことがあります。その時、病院の検査で余計なことがいろいろと出てきました。聞いたこともないような数値を調べたり、がんについて調べたり、毎日PCとにらめっこです。ついでに暮らしも大変で、かなり弱っていました。

 

 そんなときに「猛烈な胃痛」に襲われます。のたうち回る痛さです。治まった、と思ってじっとしていると、また突然やってきます。あまりの痛さに、びくびくと恐怖の時間が続きました。

 

 今まで、ほとんど医者に行ったことがない我が人生。病院出席率生涯最高時ですら、そのために、また医者に行く始末。しかし、返ってくる返事はいつも同じ「痛い時に来てくれないと原因はわからない」。

 

 やはり、アニサキスで気になるのが「もし、食べちゃったらどうなる?」ということですが、胃や腸を食い破ってしまうことがあり、吐き気、嘔吐、猛烈な胃痛などに襲われます。こうなると医師の診断が必要。

 

 それでも、約1週間くらいで死んでしまうので「いてててっ!」と、なったら、1週間我慢すれば、問題解決(のはず)です。さらに、アニサキスは傷に弱く、切ってしまえばもちろん、かすかなかすり傷でも死んでしまいます。

 

 あの事故の時以来、胃が痛くなったことは一度もありません。

 

 事故のせいで病院事が多くなり、そっちに気をとられてはいたものの、当時は「これも何かの病気なんだろう?」と、それ以外に頭が働きませんでした。そして、数日後の胃カメラの検査で「異常ありません、きれいな胃袋です」なんて言われたものですから、そんなはずはない!ならば、あの胃の痛みは何だったのか?数日間ものたうち回り、あんなに痛かったんだ、何もないわけないでしょう!

 

 ・・・!?

 

 そうです、これ、今思うと「アニサキス」だったんじゃないかな!1週間くらいで痛みは治まったし…。かれは、ぼくの胃袋を食い破って、その先ですこし楽しんでから死んじゃったのでは!

 

 当時は、まだアニサキスなんて言葉は、世の中に出ていませんでしたし、医者たちも何もわからなかったわけですから。当の本人は、まさに踏んだり蹴ったり。泣きっ面にハチ。

 

 アニサキスは、決して手ごわい相手ではありません。70℃で1分の加熱、または、-20℃で48時間のフリーズで死滅します。なので、刺身を加熱するわけにはいきませんから、ここは冷凍で100%対応できます。

 

 せっかくの刺身、冷凍はしたくないという人は、冷蔵庫に30分から1時間入れておくと、身の中に入り込んだアニサキスが表面に出てくることがあります。目視で簡単に除去できます。刺身用のサクを切る時も、包丁を斜めに使うなど、残っていても切れば死んでしまいます。

 

 魚をさばくとき、いるときは主に肛門の周りに多くいます。丸の魚では、内蔵に多く寄生していて、常温の状態になると、内蔵の近くの筋肉の中に移行しだします。魚は、冷やした状態で保管して、さばくときによく目で見て調理すれば、さして恐れることもありません。

 

 

 小学生たちに混じり、家路へと向かう。

 立て続けに警察車両に車が止められている、目白通り

 水曜日の昼でした。

 

 みなさんも、アニサキスと、一時停止、

 

 気を付けてくださいね。